どんだけ青天の霹靂やねん

2018年9月20日木曜日

絶望感を何とか払拭しようと、家族に手紙を書いた。

「大阪拘置所より。皆さん如何お過ごしでしょう。こちらでは毎日、頼んでもいないモーニングサービスに始まり、取調官や検事殿から頼んでもいない行政サービス(取調)アポ無し執行で引っ張りだこ。

更にそこに、頼んでもいない弁護士(加瀬)が僕目がけてアポ無しゲリラ突撃を繰り返して来て、気分は一躍時の人。

頼んでもいない貸し切り装甲バス送迎、頼んでもいないボディーガード(僕が迷子にならない様リード〈腰縄〉でリードしてくれます)や、頼んでもいない24時間常時保安セキュリティシステムに守られて、色んな意味で、庶民には手も足も出せない生活を満喫させてもらってます。」

これくらい自虐ネタでも書かなければ、本当に、精神が壊れそうで、やりきれなかった。オヤジが差し入れてくれたマルクス・アウレーリウス著の『自省録』(岩波文庫 第1刷発行 1956)の一説も書き添えた。

[神々は何も出来ないのか、何か出来るのか。

もし何も出来ないならば、何故祈るのか。

もし何か出来るならば、「これこれの事が起るようにしてくれ」とか「起らないようにしてくれ」とか祈るより、「これらの中の何ものをも恐れず、何ものをも欲せず、何ものについても悲嘆することのないようにしてください」と何故祈らないのか。

ある人が「彼らを厄介払いできますように」と祈るところを、「人を厄介払いしたいと思わないようになりますように」と祈れ。

「どうか失うことのないように」と祈るところを「失うことを恐れずにいられますように」と祈れ](第9巻40)。

2018年9月21日金曜日

僕は再び、大阪拘置所へ収監された。またリセットとなるため、前に差し入れされた物は、全て[所持品預かり]となり、手元には渡してもらえない。

それを知らなかったため、オカンの差し入れも間に合わず、この3連休は、本も読めない、手紙も書けない、おやつもない、もう瞑想するしかない、という状況だった。

それまで見も知らなかった人達に、僕という人間の存在を「あーだこーだ」と規定され、「あーした、こーした」だの、「あーなる、こーなる」だの、過去・現在・未来にわたり、無数のフィクショナル・パラレルワールドを、皆、よくもまぁ僕に無断で、勝手に議論、強弁、提唱してくれるが、僕は、僕だ。

そう、僕という人間の著作権は、僕のものだ。

僕にも一分(いちぶん)というものがある。