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「開けろ、開けろ」

僕は家主がいるのかどうかもわからない扉に向かって叫びながら激しく拳を叩きつけた。合鍵を鍵穴に差し込むのも忘れ、そして思い出し、馬鹿か僕はなんて叱咤してポケットから小さな金属を取り出す。

暴れる指先がそれを取り零(こぼ)し、硬いタイルの上に落ちた。それが恐ろしい事象のように思えた。同じ顔をして並んだ濃紺色の扉の向こう側からは何の音もせず、煌々と明かりを落としている電灯の下、僕の影だけが短く伸びている。この場所に僕だけがいる証拠だ。僕の革靴の底が微かにタイルとの間で砂利を噛み、音を立てた。

しゃがみこんで鍵を拾い、鍵穴に差し入れる。回す。しかし、何だろうか。引き抜いた鍵のその穴から、得体の知れない無数の細い糸のような物が絡みついてきているようで。

それは神経繊維に見えた。蜘蛛の糸より細い、目には見えないはずの糸状繊維だ。温もりを持ったそれが穴から噴き出して鍵に絡みつき、僕の指先に到達せんと迫ってきている。僕はそれに捕まってはいけない気がしたけれど、振り払ってしまうにはあまりにも頼りない脆弱(ぜいじゃく)さを持っていた。

受け入れてしまおうか。悪い物ではないだろうよ。ここはお前の家であるのだから。きっとこの繊維もお前の一部であるのだろう。僕の指先にそれが触れようとした。

扉が開いた。

ほんの少し。

足先分くらいの幅。

僕は生まれて初めてこの扉が開いたのを見たような気がして、齧り付くようにノブを掴んで引いた。しかし扉は僕の体を受け入れなかった。勢いよく引いた腕は反対側から強い力で阻まれ、最初に開いた以上の開放を許さない。何故だと思い扉の隙間を見ると、U字ロックが鈍く光っていた。

そして、その近くで小さな呼吸音が聞こえるように話しかけえる。僕より少し下、扉に隠れるように髪の毛が動いた。

「おい、これ外せって」

出来るだけ控えめの声音でお前にだけ聞こえるように。お前の頭が微かに揺れた。左右に振っているようにも、上下に頷いているようにも見える。

「電話の、あれどうした、あの叫び声。とにかくこれ、外して。中入れて。怒ってないから」

 

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次回更新は12月27日(金)、20時の予定です。

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