まてよ、京子が「ぶら、ぶら」をするよう注文してくることもあったが、その時、私も当然、笑顔になって、京子の手の平をゆすっていたということか。私は暗い顔を封じ込めていたはずだったがと、思い直してあえて聞いてみた。

「俺、暗い顔していた時なんか、ないよね?」

京子は深い瞬きを一回して、隠しきれずに、小さく微笑んだ。完全にばれていた。

近頃は何か薄寂しい。私はまだ自宅介護をめざしていたが、ヘルパーの助けがあっても、自分一人での自宅介護は難しいことが、少しずつ分かり始めていた。

『もう、京子をこの先、家に連れ帰って、共に生活することができないかもしれない』

家に、いつもいるはずの妻がいつまで経ってもいないまま、というのが私の心を暗くしていた。炊事をして、一人で食事をしていると、夕方に別れたばかりなのに寂しい気分に襲われた。一息つき、ふと訪れた空き時間にはいつも感じた。これが心の隙間の始まりなのであろうか。

ラジカットの期限付きの入退院のときに感じた規模ではないだだっ広い隙間を感じた。その時どきの思いによって、自由にその広さが変わっていく。

緑が芽吹きだした気持ちのよい春の日、夏の日の中に静かに散る白い百日紅の花、紅葉が広がり始めた美しい秋の日、雪が積もり、大地を真っ白に覆い隠した冬の日、時が過ぎるごとに少しずつ心の中に、現実のものとして、何かが固形体を作り始めていた。

しかし、まだカサカサとしたものが積み上がっていくだけで確定していなかった。自分の悲しみなのか、空虚感の積み重なりなのか判断できなかった。少しの圧力を加えただけで全てが空洞に変わるのかもしれない。

「分からない」と独り言に近い言葉をつぶやいた。

「何、ソレ?」

「なんでもないよ」

「ドウシタノ?」

「大丈夫だよ」

私は微笑んで、京子を安心させようとしたが、かえって心がうわついてしまった。