ALS

京子は、肺活量が急激に落ちている時期なのに、呼吸の苦しさの自覚がなく、暑い時期でもあり、呼吸の補助換気マスクを嫌がっていた。

しかし呼吸不全がいつ起きてもおかしくない状態だと先生は言った。患者によっては、息苦しさの自覚症状がないまま眠りにつき、翌日に死亡していたという症例もあったと、説明してくれた。

大学病院を退院してから、九カ月が経過していた。聞いていたこととはいえ、死を実感させるほどの急速な病気の進行に、驚きを持って、向き合わざるを得なかった。

それは、余命が三カ月を切っていることが、現実味を帯びて目の前に迫ってきた瞬間だった。生命維持装置を付けてからの延命期間は、患者によって差があるが、平均で四年と教えてくれた。

病気の末期になるとNPPVのマスク方式では二酸化炭素が十分に排出されなくなり、呼吸補助装置を外さざる得なくなるという。そして、呼吸苦が増していき、意識混濁を引き起こして、死に至るという。

病院は「自然死の呼吸苦には、万全を尽くす」と言うが、呼吸停止と心停止、そして蘇生が繰り返される。想像しただけで、大変な苦痛を伴うものだと思われた。病気の末期には、身体がだるい酸欠状態になる。その上、患者によってはマスクによる、鼻と口回りに褥瘡(じょくそう)が発生することもあるらしい。排痰も難しくなる。

京子は、すでに何処にも逃げることができない死に直結したベルトコンベヤーの上に乗っている。

このまま、残りわずかになった生を選ぶのか、それともTPPV方式の生命維持装置を選択して、声を失うという未知の四年間をまっとうするのか、判断を迫られていた。

もう、二人で楽しみのあふれた、普通の生活に戻ることはできない。

これから、想像できない苦しみが、何年続くのか。そんな未知数の中に入り込まなければならない。でも、ずっと私は、京子のそばにいたかった。独りぼっちになるのが怖かった。

『どんなことがあっても、妻には生きていて欲しい』

私は余命のことを京子に正直に話して、TPPV方式にする決意をした。

まだ、京子の気持ちが確認できていない中での一人だけの決断だった。