こうして早良皇太子が憤死した後、安殿親王が十二歳で皇太子となりましたが、このあたりから早良の怨霊が桓武と安殿を悩ますことになります。【図3】

国際日本文化研究センター、「役者絵」春好斎北洲(江戸後期)

天応元年(781)、桓武が四十一歳で即位した直ぐに富士山東側の大噴火があり、事件の三年後、夫人(ぶにん)旅子(たびこ)が僅か三十歳、皇后乙牟漏が五年後に三十一歳で死去します。それも早良怨霊の仕業だと噂され、更に怨霊は皇太子になった安殿に向かっても現れ始めました。

そうなると安殿は一日中、一人でいるのを怖がり、夜になると誰かが忍び込んできて怨みのこもった言葉を自分に投げかけると叫び、その恐ろしさに身を縮めて脂汗を垂らし続けるのです。そして身体は金縛り状態になり気を失うことも度々でした。

  

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