しかし、順調にスムーズに進む人生もあれば、著者のように、先祖が遭遇した「水俣病」の影響から始まって、紆余曲折しながら進んでいく人生もある。そこには、運命すら超えられる夢実現へ向けて諦めない努力と忍耐力が必要となる。

そして「運命の主人公」としての自覚と、如何なる生い立ちであっても、使命があれば必ず乗り超えることができる信念が夢実現の鍵となる。

著者が夢を抱いた1960年代〜1970年代にかけては、日本が高度経済成長の夢と希望に満ちた時代であった。クラーク博士の「青年よ、大志を抱け」がその象徴となるフレーズであった。

もっと時代をさかのぼれば、幕末の思想家吉田松陰は、「夢なき者には成功なし。理想のあるべき姿に近づく為に前向きに頑張りたい」と「安政の大獄」で30歳の若さで亡くなるという短い人生でも夢を語っている。志を半ばにして、人生を終えた偉人の言葉である。

夢を抱くのに年齢は関係ない。夢は、若者の為だけにあるのではない。生命の長短、寿命にも関係ない。高い夢も低い夢も、大きな夢も小さな夢もないのである。

現代では、高校は義務教育に近く、大学進学も珍しくない。しかし、高校中退者には高校卒業資格が夢となることがある。

一旦中退すると、大学進学を希望する場合は、通信制高校への転校や高卒の認定試験を受験することになる。

高校中退から次のステップを踏み出す人はたくさんいるし、決して否定的に捉えているわけではないが、大学に進むルートが多少複雑になることは否めない。

私にも進学に関する危機に直面した経験があるが、この時期は結構辛かった。持たなくていいコンプレックスを持ってしまう恐れもあった。現代社会は実力主義とはいえ、学歴ゆえに希望の職業に就けないことさえある。たかが学歴、されど学歴である。