第1話 天空の苺

全長500メートル、全幅200メートル、飛行船の大きさは100年前のヒンデンブルグ号で有名なツェッペリン飛行船のざっと2倍はある。曇ることのない高度で、4区画の温室ファームで溢れる太陽光を取り込んで苺を成育している。

飛行船に3本ある縦トンネル状の螺旋階段の一つを智子は駆け降りた。降りた先が居住区になっている。

飛行船は巨大で、上部のファームと下部の居住区を上り下りするだけでも一苦労だ、降り切ったところ、つまり飛行船の真下に、循環システムのブースと飛行船の操縦席、それに二人の居住区がある。居住区にはキッチン・リビングにバスルームとベッドルームがあるだけ。

智子は、今朝オーブンで焼いて冷ましておいたパンをカゴに入れた。棚を見渡し居並ぶ自家製ジャムの中から、苺とブルーベリーの小瓶を選んだ。冷蔵庫を開けてジャガイモとザリガニのほぐし身のサラダの入った容器を取り出しカゴに加えた。

さらに、小皿やティーカップとカトラリーセットの入った小箱をカゴに入れると。紅茶を魔法びんに満たし肩にかけ螺旋階段に向かった。

何の気なしに、智子は螺旋階段を上がる前に、いつも開き切ったドアの向こうにある操縦室を覗いた。2席ある操縦席前の風防ガラスは旅客機のコックピットなどより遥かに広い。着陸時の視界を確保するため足元までガラス張りになっていた。快晴の下、遥か下に海が見えた。

智子は、操縦席のモニターをチラリと見た。異常はない。通常は完全な自動操縦になっている。

2週間先の気圧配置を正確に予測して、絶えず安全な方向に船を導いている。高度6000メートルでも台風クラスの低気圧は危険なのだ。

ディスプレイに表示されているルートを見ると、飛行場へのルート取りがなされていることに気づいた。孝太がもう着陸をプログラムしていたのだ。智子は少し怒りを覚えた。孝太はそんなことは言っていなかった。ランチを入れたカゴを持って螺旋階段を息を切らして上がるうちに怒りは少しずつ不安に変わっていった。

今まで、孝太が大切なことで内緒事をしたことがなかったからだ。少なくとも智子が知る限りでは。

智子は広大なストロベリーファームの区画を抜け、飛行船の最前部に向かった。最前部も温室になっていた。彼らがテラスと呼ぶ温室区画は苺の区画と比べれば遥かに小さいが、広さはテニスコートほどはあった。2面あり疑似的に冬と夏をローテーションできるようになっている。

ここには、苺以外の多様な植物が茂っていた。地上を離れ上空で暮らす人間が長期間、自給自足できるように家庭菜園が設備されていた。ストロベリーファームで受粉を行う蜂たちの住む箱もここに数個ある。蜂たちはダクトを伝って、ここから各ファームの苺の花に向かっていく。

有害放射線反射フィルムで直接の陽光は望めないが、植物園の温室のように有用植物が茂っていた。リンゴ、オレンジ、イチジク、オリーブ、ブドウ、レモンのほか、茶やブルーベリーの低木があり、小さな小麦と大豆の畑のほかに、じゃがいも、人参、レタス、ナス、キュウリ、トマトを育てるプランターが並び、小さな池もあった。

全長7mある8の字状の二重池の外側は絶えず流水が廻り、姫鱒が流れに抗い泳いでいる。中心の鯉のいる池にはハスの葉が広がり、水底には食用のザリガニとモクズガニが放たれている。もちろんハスの根のレンコンも食用になる。

飛行船内の水はすべて循環していた。ファームの排水、二人の生活排水はすべて飛行船下部の居住区の背後にあるバクテリア浄化槽で処理され、水、栄養素は分離され還元される。ここでは閉じた系が成立していた。不足する水は、結露から絶えず充填されている。