その頃エイズ患者に対し養子免疫療法を試しており、インターフェロン アルファがどのような効果を上げるかとか、インターロイキンー2や他のサイトカインのような免疫マーカーが彼らの命を救うのに何かの手がかりを与えてくれるかを研究していた。

また当時は騒がしい時代で、1980年代と1990年代に最も名の売れた科学者ロバート・ギャロ博士がエイズウイルスを最初に発見したという名誉をフランスの科学者リュック・モンタニエから奪い取ろうとしているのではないかという論争が起こったりしていた。

これは意図的な盗みだろうか? それとも勘違いなのか?

モンタニエはその後2008年にエイズウイルスを発見したとしてノーベル賞を受賞し、ギャロの名前は明らかに論じられることはなかった。

ギャロや彼のような科学者がこの科学の世界においてやってきたことに関し、私なりの確固たる意見を持つに至った。

1986年、政府は計り知れない英知のもとで、生物学的応答調節物質研究を廃止する決定をした。私は研究所内で新しい職位を探すことになった。ちょうどその頃ある上級研究者が実験データを若い博士課程を修了した日本人研究者に改竄するよう命じているのを目撃した。

その研究者は命じられて明らかに困惑していた。それがあって間もなく彼はアジ化ナトリウムを飲んで自殺した。この薬品は白い固体で電子伝達鎖をバラバラにし、結局は人を窒息させて死に至らせる。私はプログラムの担当役員(フランクの上司)のところへ行き目撃したことを彼に話した。

「彼がなぜ自殺したか知っているんです」と私は言った。その上司は興味を示さなかった。そしてその上級研究者はよい評価を受けた。博士課程修了の若い日本人研究者は妻と2人の幼い子どもを残してノイローゼで死んだと切り捨てられた。

その日の午後、アップジョン社で働いている前の職場での同僚から電話があった。「ジュディ、君に仕事があるんだ。絶対気に入るよ」私はミシガン生まれで、デトロイトタイガーズのファンだった。

ミシガンは地元だ。

しかも給料は政府で働くよりずっとよかった。

「決まりだわ」と私は言った。

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