きゅっと結ばれた小さめの口元を彩る淡いオレンジベージュのリップカラーが唯一若い女性らしい華を添えていたが、法子本人は「色」というものを感じさせない。
「何かの色に染まってしまうと、対象に対して冷静で公平な判断が下せなくなるような気がして。限りなく白紙に近い状態でジャッジをするため、私自身は色のない存在でいたいのです」
帝徳大学で教壇に立つ前に所属していた帝都(ていと)大学での教え子であった法子に、
「日向君はどうしてもっと赤やピンクなど女の子らしい色の格好をしないの?」
雑談のついでに聞いた時に返ってきた法子の答えを、播磨は今でもはっきりと覚えている。
同じゼミの女子大生たちが、巷の流行を取り入れたり、男子生徒をあからさまに意識した服装や髪型を楽しみ、徒党を組んで賑やかにキャンパス内を闊歩(かっぽ)するのに対して、法子は終始地味な格好を貫き、常に単独で動いていた。
「変わった子だ」
と播磨は思ったが、課題のレポートにはいつも目を見張るような着眼点や結論への独特なアプローチがあった。
それを個性と呼ぶべきか、強引と言うべきか迷うところではあったものの、法子の将来をその意欲と類まれな才能にふさわしい形で整えてやりたいという親心は、早い段階で播磨の心に芽生えていた。
法子に目をかけるにつれて彼女を教授室に呼ぶ頻度は自然と増えていったが、法子が平凡で目立たない容貌だったことが幸いし、不本意な噂や外的な圧力で二人の独特の親交が妨げられることは全くなかった。
彫りの深いハーフのような風貌と一八〇センチを超える長身、加えて五十歳を過ぎてなお独身貴族を地で行く播磨道人に熱い視線を投げかける女子学生は少なからずいたが、法子はむしろ父親に対する思慕に近いものを播磨に感じていた。
播磨と法子の関係は恩師とその教え子の枠組みを超え、法子が帝都大学を首席で卒業し、大学院に進む頃にはいつしか同志のような色合いまで帯びてきていた。
播磨自身、法子の人並み外れた知性と洞察力にのみ自らの照準を合わせていたのである。真理を追究するという使命を背負った者同士、いつか対等な立場でひとつの事案に取り組む日が来るのではないかと播磨は予感してもいたのだった。
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