どうやらこの星は、もうすぐ終わりを迎えるらしい。
起こるはずがないばかげた話、それがリアルだ。
予測できる能力はあるのに、起こるはずがないと潜在的に切り捨ててしまっているのか、
それとも当たり前に、起きたことがないことを想像できないだけなのか。
はたまた、結果なんてものは本当はどこにもなくて、
必ず答えがあるという思考のマヤカシか。
まさか、隕石が落ちるというのに、
あの人気俳優が自殺するなんて誰も想定していなかった。
人は必ず死ぬと知っていても勝手に夢を抱き、絶望し、乗り越え、空っぽになり死ぬのかもしれない。
これも私が想像できる範囲のこと。
隕石が落ちると分かってから最もリアルだったことは、人間移住計画だろう。
ロケットに乗り、他の星に逃げるのだ。
しかし、本当のリアルはここからだった。
このロケットに乗れたのは、大金を払った限られた人間だけだったのだ。
大金の価値は最初から最後まで彼らのためだけにあった。
今日もロケット発射場で行われているデモが、テレビ中継で映し出されている。
炎天下、滝のように汗と涙を流し一心に叫んでいる彼ら。
老若男女の膜もすっかり溶け、動物になってしまった。
取り残された者の声を聞くのは、取り残された者だというのに。
隕石が落ちる前に寿命がつきてしまうかもしれないのに。
この星を捨てた人達は、着陸に失敗しているかもしれないのに。
そもそも、隕石は落ちないかもしれないのに。
それでも彼らが叫び続けるのは、
その行為自体が今を生きるための生命活動だからなのだろう。
未来のためのようで、今を生き抜いている。
将来の不安を綴る彼女たちは、今を乗り越えている。
そんな今しか生きられない私たちが未来を想像してしまうのは、
死こそがばかげた話だからなのかもしれない。