月子はお店で飲む日本酒が好きだ。同じお酒なのに家で一人で飲むのとは全然違う。舌の上で体温に温められたまろやかな液体と鼻から抜ける柔和な香りを同時に享受して、湯引きの鱧を口に運んだ。

月子も白鳥さんも久しぶりの外飲みだったせいか、ペースが早かった。トイレにと、立ち上がると体がふわりと浮いて何ともいえない心地よさだ、薄明るい店内のどのテーブルも、グラスや器や造りに敷かれた氷がまばゆい。

腕時計を見るとまだ六時前。次に時計を見る時はきっと八時になっているだろう。テーブルに戻ると白鳥さんの前のお猪口がいつのまにか焼酎グラスに変わっていた。そして、静かに話し出した。

「タイですか」

月子が呟くように言うと、「かぎろひ」の店長がチラッとこちらを見た。(鯛じゃないからね)と心の中で呟いて、自分でもそれがおかしくてふっと口の端で笑った。

「今、私がタイって言ったら、店長が勘違いしたのかこちらを見て」

と、白鳥さんに小さな声で耳打ちすると、白鳥さんは声を出さずに長いこと忍び笑いをしていた。そこまで面白くはないけれど。月子にはその笑いは伝染しなかった。

白鳥さんは再来月、つまり九月、このまちからいなくなる。タイに転勤になったのだという。二年ほどらしい。それから白鳥さんは自分のことを喋った。月子にとってもちろん初めて聞くことばかりだった。

数年前、白鳥さんが住んでいた、ここから百キロほど離れたまちで豪雨災害があった。白鳥さんが出張の留守中に奥さんが犠牲になり亡くなった。奥さんの遺体は二日たって数十キロ離れた海岸で発見された。