そして、チェックインを済ませ気の合う者同士が、ラウンジのビュッフェで恥ずかしいほど肉やマンゴーを山盛りにし、なごりの宴となるはずだ。
赤道上を北にわずかに外れる陽はまだ高い。大きな円形造りの白いターミナルビルは、このラウンジの広い窓からエアサイドに広がる景色を、これでもかと見せてくれる。そのとき唯井は知る由もなかったが、中年の外国人男性が、窓の反射光に少し目を細めながら入口のほうからこちらを見ていた。
昨年の暮れに唯井の知り合いが作った企画書は、たしか「海外テロと治安の実情視察」という名前で、見学、研修、意見交換などといった読む気の失せる無味乾燥な文字をわざと選んで並べたものだ。むろん参加者のアリバイもかねている。
だから実際は、到着翌日の朝から目のさめるような国連の広大な庭園の散策を楽しみ、夕刻には日本大使館と現地関係者との派手なパーティーが待っていた。これはあらかじめ「企暴連」事務局長が大使館の知人に手をまわしていたものだ。
また視察と称して、ナイロビから百キロほど北のナイバシャ湖というリゾート地へ、泊りがけのサファリツアーもあった。もっとも唯井が本で覚えていたはずのケニアの大地といえば、コナン・ドイルの『失われた世界』の舞台となったグレートリフトバレー(大地溝帯)であり、それに考古学者リーキーがそこで発掘した人類最古のオルドヴァイ遺跡だ。
結局、どちらにも立ち寄ることなく、最終日の研修は、キベラ地区というケニア最大のスラムの探検ツアーと、夜が五つ星ホテルでのカジノだった。
この探検ツアーは観光客に意外と人気で、地元の警察官が銃を持って同行した。そう、唯井としては思い出したくもないが、あの警官と銃のおかげで命拾いし、いまこの命が回っている。
唯井はいまループタイの飾りとして首にかけている、女の顔をした妙な彫り物と関わったせいで、あやうく殺されかけたのだ。