*
こうして俺は、橋口家が代々守ってきた長男の名前は祖父がつけるという慣習を破り、陽菜とふたりでつけることにした。それを聞いた陽菜は何も知らないままに喜んでくれた。そして俺が息子につけた名前は、ひらがなで書く「ひろみ」だった。『弘』という文字は使わないけど、読みの「ひろ」だけは踏襲した。
陽菜は元々男性アイドル歌手の渋沢ひろみのファンだったので喜んでくれたが、義父母は男か女かわからないようなその名前に、明らかに反対という顔をしていた。しかし、俺の親父が了解したということを伝えると、二人がそこまで言うのならと、しぶしぶ了解してくれた。
さて、これを『ふみ』さんはどう思うだろう。父から聞いた話では、これまで『ふみ』さんが現れたのは、赤ん坊に名前がつけられてからだという。姉の文香が誕生したときには、『ふみ』さんは現れなかった。もしも男女を名前で判断しているとすれば、ひろみの前には現れないかもしれない。これはひとつの賭けだった。
しかし、それでも『ふみ』さんが現れたときには、俺はもうひとつ、奥の手を用意していた。これには陽菜に協力してもらわねばならない。本当は、彼女には何もわからないままでいて欲しかったが、こればかりは彼女でなければできないことだった。
俺は、父から預かったアルバムを手にさっそく妻の実家に出かけた。翌日は両家が集まってお祝いの宴が催されることになっていた。
その日の夕方、妻にこれまでのことを包み隠さずしっかり話して聞かせた。妻の疑問にはすべて答えた。例のアルバムも見せた。俺の真剣さに圧倒されたのか、百パーセントではないかもしれないが、陽菜は俺のことを信用してくれた。
いや、もしかすると、ほとんど信じていなかったのかもしれない。信じていないからこそ、まかり間違えばひろみを死の危険に晒すかもしれないそんなやり方にでも、軽いノリで賛同してくれたのかもしれない。多少不安は残るが、理由が何であれ協力してくれることだけで嬉しかった。そのあとは、俺が考えた奥の手について、ふたりで入念に打ち合わせをした。