無謀な経済政策
1941年以前の戦争のない状態で、FDRの2期における赤字があったにもかかわらず、FDRやその後継者達は、その後の年度において予測された経済復興により赤字を減少できたはずだった。
この目論見は本当の戦争(第二次世界大戦で、1941年から1945年アメリカが参戦した)により砕け散った。
ルーズベルトは1944年に第4期目として選出されたが、1945年4月12日、就任して3カ月も経たずして死亡した。
ルーズベルトの第3期は第二次世界大戦でアメリカが勝った時期に重なる。当時、アメリカ国家安全に対する外的脅威としてのナチスドイツと日本帝国に立ち向かうために、かつてないほどアメリカの国家債務が増加した。
ルーズベルトの第3期には国の債務は420億ドルから2,450億ドルに膨らんだ。その同じ時期アメリカの債務の対GDP比率は50パーセントから120パーセントまで上昇し、歴史上最も高い率になった。
この1941年から1945年にかけての2,030億ドルの債務増加はFDRの最初の2期における230億ドルの増加を取るに足りないものと思わせる。
FDRの財政政策は1789年来の先達の政策に平行して実施された。
アメリカは戦争に勝つために必要となる債務を増加し、戦後には債務を軽減する。アメリカの戦死者数で言うと史上最も悲惨な戦争において、アメリカの債務は金額で言うと史上最も大きく拡大した。
この戦争での債務の増加は、建国以来のアメリカの財政政策に従ったものだ。
次のトルーマン、アイゼンハワー、ケネディ、ジョンソンの4政権は下院と協力し、また連邦準備制度の直接、間接の援助を受けながら、債務の対GDP比率をルーズベルト政権の末期の120パーセントから、ジョンソン政権の終わりの1969年1月には38.6パーセントまで驚くべき引き下げを成し遂げた。
これは時折の予算上の黒字(1947-49、1951、1956-57、1969)があったこと、力強い実質成長(1945-47の長い戦後不況の後、経済がめざましい成長を遂げた時期があった。
例えば1950 年の8.7パーセント、1951年の8.1パーセント、1955年の7.1パーセント、1965年の6.5パーセントそして1966年の6.6パーセントである。