あなたがいたから
再再発
一か月位経った頃から、もう目は閉じたままになり、時々呼吸が弱くなり、乱れる様にもなった。「もうあまり生きられないだろうか」そんな事を思いながら、病院に向かう毎日。
面会しても明日彼が生きているかは、分からないのだと思うと、自分自身が多少疲れていても、体調が悪くても、病院に行かないという選択肢は無かった。又彼も必死に生きようとしていたからだ。
六月に入ると、呼吸が安定しない日が多くなり、時々酸素マスクをつけている事もあった。担当医の先生からは、「いつ何が起こるか分からないです」と告げられていた。
「もう彼はあまり長く生きられないのか」と思いながら毎日病院に向かったのは、ついこの間の事の様である。
でもあれからもう数年も、いつの間にか経っていた。最後は、四人部屋だと同室の他の方にご迷惑をお掛けすると思い、これも病院にお願いして、個室に移る事ができた。
明日個室に移ると決まった日、いつもの様に面会に行った時の事である。言葉を話せないどころか、口も開けなかった彼が、私に向って、口をパクパクと動かしていた事があった。
彼なりに自分の命の短さが分かり、おそらく私に、「ありがとう」と告げてくれていたのかなと思った。この時「分かった、分かったよ」と私は答えた。又「伝えたい事があったら、もっと話せるうちに話してほしかったよ」とつぶやいた。
やっとの思いで、口をパクパクと動かして、私に告げてくれたに違いなかったのだ。その様な彼の姿を見て、最後に必死に自分の気持ちを伝えたかったのだろうかと思った。私も「今まで大きな愛をありがとう」と彼の耳元で囁いた。
個室に移り、二日目、この日は面会に行っても気のせいだろうか、何故か嫌な予感がして、なかなか帰る事ができなかった、しかし容態は落ち着いていたので、いつもより遅くまで病室にいて帰ってきた。
不思議と胸騒ぎがして、いつもなら帰り際に「帰るね」としか言わない私が、その日に限り「今までありがとう」と、彼の耳元で言って帰ってきたのだ。その夜だった。彼が天国に静かに眠るように旅立ったのは。私も、子供達も間に会わなかった。彼らしいと思った。