ちょうど息子が保育園の年中だったときに、あみだくじに当たって? 外れて? 保護者会の会長になってしまったことがありました。

会長として年長さんの卒園式であいさつをしなければならなくなり、さて何を話そうかと考えていたときに、禅語の「一箇半箇」という言葉が浮かびました。

「友だちは一〇〇人作らなくてもいいんですよ。一箇半箇という言葉があってね、友だちは一人で十分、一人の半分でも十分なのよ〜」と話をしました。

この言葉は、ブッダが弟子に、教えを理解してくれる人は一人いれば十分であり、また半人でも十分であると語ったことがもともとの意味になっています。

若者の多くは、友だちができるかできないかが自分の価値付けの大きな要因になることが多く、友だちの有無によって苦しむことがよくあります。

友だちは一人でも半人でもいれば十分であるというメッセージを届けることで、少しでも気持ちがラクになってくれたらと思います。

自分のことを理解してくれる人が一人でも半人でもいればそれで十分なのです。理解者だと思える人と出会えること自体が心の支えになるのですから。

卒園式のあいさつにはその後にエピソードの続きがあります。後日、保育園の先生から連絡がありました。

「お母さん、卒園式で話していた四文字熟語何でした〜? 書道展に出す文字にしたくて〜」というお問い合わせでした。大人にも響く言葉だったのだなあと改めて一箇半箇の言葉の力を感じました。