「この青年リサールには日本人の血が流れていたんだって」とつぶやくアリサ。
「ええ、そうなの?」
「フィリピンが中南米の国のインカ、ペルー、マヤのように全滅されなかったのはなぜだと思う?」
「この革命に命を懸けた人たちのおかげ?」
「ううん、それよりも前のこと。フィリピンには日本の江戸時代よりずっと前から日本の武士たちが結構来ていたのよ、彼らは正義の味方だったの。スペインやポルトガルからやってくる白人たちが乱暴狼藉を働いていると、日本のサムライたちが退治してくれたのよ」
「わたしが知らないことばかりだわ……日本人として恥ずかしい」そう答えるのが精いっぱいだった。
空港で別れる前にアリサが尋ねてきた。
「わたしの国の名前の意味知ってる?って聞いたこと覚えてる?」
「ああ、フィリピン? フィリピンはフィリピン……」
「これはわたしたちの祖先を虐殺したスペインの王室の皇太子の名前、フェリペ皇太子」
「えー、そうだったの?」
「そうよ、そんな名前でわたしたちに誇りなど持てると思う? パスポートを見る度に悲しくなるの」
「そうだったのかぁ」
「1978年頃、マルコス大統領が国名をマハルリカへ変えようとしたんだけどね、立ち消えになっちゃったの」
「そうなんだ、マハルリカ? それってどんな意味?」
「サンスクリット語でね、〝気高く生まれ変わる〟って意味なの。ねえ亜美、父の願いを叶えてね、横浜へ行って!いつかわたしも行くわ」
「もちろん、必ず行ってくる」
別れのハグをしたときにアリサは言った。
「亜美、わたしたち幸せになろうね。忘れないで、日本は今でもわたしたちの希望なのよ」
横浜山下公園、リカルテ将軍記念碑。
〝アルテミオ・リカルテは1866年10月20日フィリピン共和国北イロコス州バタック町に生る。
1896年祖国独立のため挙兵、1915年「平和の鐘の鳴るまで祖国の土をふまず」と日本に亡命……リカルテは真の愛国者であり、フィリピンの国家英雄であった。
茲に記念碑を建て、この地を訪れる比国人にリカルテ亡命の地を示し、併せて日比親善の一助とす。 昭和46年10月20日 財団法人フィリピン協会会長 岸信介〟
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