太平洋の波の上で ─22年後─

侵略者の皇太子

しかしリカルテは、

『わたしは、アメリカとの戦争で降伏していない唯一の将軍です。わたしが母国に踏みとどまらなければ、この国の未来が失われます。最後の一人になるまでわたしはアメリカと戦います』

とそれを断ります。

1945年4月、山中の野営地の中で、アゲタ夫人が亡くなりました。リカルテは夫人の手を握り瞼にキスをしてから、静かに抱きしめて、

『今度は人種差別のない時代に、奴隷から抜け出すために戦う必要のない国に生まれ変わって結婚しよう』と囁きました。

周りにいた祖父の兄たちもみんな涙したそうです。

涙を流しきったリカルテ将軍は、後を追うように祖国の独立に懸けた80年の人生を終えます。

リカルテ将軍の遺言は、

〝わたしの墓は第二の故郷である日本に建ててほしい。そしていつの日か独立を果たしたこの国のこどもたちを日本へたくさん留学させてほしい〟だったそうです。

わたしの祖父の兄はそのことを祖父へ伝えてから亡くなりました。祖父はこのことを息子たち、孫たち、わたしたちに伝えてくれました。だから今日ここに亜美を迎えたことは、わたしたち家族にとってもとても大切な日を迎えたような気がするんです。

生涯結婚もせず、リカルテ将軍に仕え独立を夢見た祖父の兄はきっと喜んでいるでしょう」そう言って、写真の前にグラスを置いて、嬉しそうに日本酒を開けて注いだ。

「今日のために日本酒を買ってきました。娘は日本への留学は選ばなかったけど、アメリカで日本の方と友人になれた、それだけでも」

初めて聞くこの家族の物語に言葉が見つからなかった亜美だった。そんなことなど学んだこともない、それどころか考えようとも向き合おうとしたこともなかった。同時にこの太平洋の大切な友人との絆を大切にしようと思った。

「亜美さん、日本へ帰ったら、横浜の山下公園へ行ってほしいのです。そこにはリカルテ将軍の記念碑があるはずです。そこへこれを飾っていただきたいのです」差し出されたのは、中央に黄色い太陽のあるマークのレプリカだった。

「これは、何ですか?」

「フィリピン独立軍の旗です」

フィリピンを出る前に、スペイン政庁から見せしめの銃殺刑にされたホセ・リサールの記念館へ連れていってもらった。

マニラ市内にあるリサール記念館には、美しい日本婦人の写真が飾られていた。なんとそれはリサールが日本滞在の数か月の間に恋に落ちた日本の女性だったそうだ。