「張西さん、このままじゃ勝てませんよ。僕らでは限界です。プロコーチを呼ぶべきです」

その答えを、張西も待っていた。海外からコーチを招聘すべく、FIEとの人脈、つながりを活かし、張西は当時のFIEのルネ・ロック会長に直談判した。

「日本も本格的に強化へ着手するためにコーチを探しています。この人ならば、という指導者を紹介していただけませんか?」

その申し出をロック会長は快諾。そこで白羽の矢が向けられたのが、ウクライナ人のオレグ・マチェイチュクだった。2003年に来日した当時はまだ31歳と若く、世界的な実績があったわけではない。むしろまだ現役を引退したばかりで、コーチとしては未知数だったが、張西は「必ず日本を強くする」というオレグの情熱を信じた。

日本フェンシング協会としても財政に余裕があるわけではなく、十分な報酬が払えるわけではないが、まずは男女フルーレの強化に着手する。その第一弾としてそれまでは散り散りで練習していた選手たちを「日本代表」として招集し、JISSを拠点とすべく、張西はJISSのフェンシング場を訪れた。

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