第四章 日系カナダ移民第一号
日本からカナダへの移民の第一号は、一八七七(明治十)年ブリティッシュ・コロンビア州のフレーザー川を遡った南西部にあるニューウェストミンスターに、長崎県島原市出身の水夫、永野万蔵がイギリス船に乗り密入国したことに始まると言われている。
万蔵の故郷島原は、一六三七年に起きた「島原の乱」で有名である。江戸幕府のキリシタン弾圧に対し、天草四郎時貞を首領に農民軍が蜂起し原城に立てこもった。幕府の大軍により陥落し、皆殺しになった所である。
それ以来、幕府の禁教策はいっそう強まり鎖国令が次々に出され、一八五三年のペリー来航まで二百余年も日本の鎖国が続いたのであった。そして、長崎の出島を通じてのみ中国・朝鮮・オランダだけと貿易ができ、それ以外の国との貿易を禁止した。海外への渡航も海外からの自由な来日もできなくなった。
島原にある口之津港は昔から外国船が嵐を避けて寄港できる天然の良港だった。幕末に日本が開国すると口之津港は石炭の積荷港になり、海外からの大型船が寄港しては石炭を積み込んで船出していった。三池炭鉱などから運び込まれた石炭のお蔭で口之津は繁盛したので、後に石炭のことを「黒ダイヤ」と呼ぶようになった。
石炭を運ぶ人夫が不足したことから、鹿児島の与論島から集団移民で口之津に移って来た人たちがいた。台風などの災害で作物がやられ、食べるものがなくなった人たちだった。与論長屋に住み込んで、冬でも芭蕉布で縫った着物だけで、寒い中でも石炭を運ぶ仕事に精を出していた。
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