我輩は清掃人じゃ

4.第二の邂逅・第三は運命の女性の苦難?

右手でハンドルを握りながら左手でリードを引き、チャリンコにはまたがらずに、バランスを取りながら押してゆく。動きが鈍っても焦らないで前進じゃ。クマ君は猫でありながらちょこちょこと小走りじゃ。

「危険なので、車道に出ちゃいかんぞよ。脇の歩道を歩くのじゃ。一つだけの命じゃからの。大事にせんとな」

ニャー。

そのときはアパート付近を一回りしか予定してなく、十五分ほどで帰宅しようかと思っておったのじゃが、あまりにもクマ君が元気よいので、少し遠出しようかと我輩の意思とは裏腹に、足の赴くまま、行ったれい。

あっちふらふら、こっちふらふら、足の状態を確認しながら、直感を頼りにして、とにかくふらふらしていたのじゃ。ぶら下がった蜘蛛みたいじゃ(笑)

三十分ほど歩いて、これはちと来過ぎたのうということになって、クマ君の許可を得て、戻ろうかと思ったのじゃ。そのときじゃ。我輩の愛しの坂本泉水が、この辺にはそぐわない、眩いばかりの大きな屋敷に入っていくのが、目に映ったのじゃ。

この屋敷に住まわれておるのか。大邸宅じゃの。高いブロック塀じゃな。あまりにも我輩とのギャップに、人生を拒絶する紛れもない現実が、右手を伸ばしても届かない距離なのかと落胆したのじゃ。

大邸宅の門構えが立派で、興味もあって、近づいて表札を確認したのじゃ。

ありゃっ?

坂本とのお名前で、世帯主らしきお名前が真ん中に陣取っていて、左脇には、泉水との名前まである。これって、ほんまもんの名前なのかの。適当に名づけたのが本名とは、シャレにもならんのう。

我輩は、あるはずのない奇妙な体験をしとるな、と笑いが出てきた。それでも、容姿や年齢どころか、身分の違い……。遠くて遠くて、とてもお近づきできない、かといって簡単には引き下がれない痛み。

そうじゃ、諦めるのはいつでもできる。諦めなければよいのじゃ。諦めるのは最期のとき。死ぬときでいいのじゃ。死ぬ寸前のわずかな時間を見計らって、そんときに、生涯の努力が不足していれば、我が身の懺悔として受け入れ、死んでいけばよいのじゃ。それまでは、ネバーギブアップじゃ。