「お父さん、お父さん」と。

また、時にはそっと語り掛けるように。

(父娘っていいな)と私は羨ましく、他人のようにこの光景を眺めておりました。

そのうちに待機していた看護チームのみなさんが大勢病室に入って来られ、主治医も来室されました。

平成二十八年三月二十二日午後三時四十九分。先生から旅立ちの宣告をされました。

さようなら

「堀内さん、昭四郎さん、さようなら。長い間お疲れさまでした」

みなさんが代わる代わる私の乗っている車に向かって、呼びかけておられます。

たくさんの看護師さん、リハビリの先生方、介護職員の方々の顔、顔、顔。病院内の看護関係の方々が人手不足になっているのではないかと密かに心配しつつ、私は夫の遺体の安置されている寝台車に乗り込み、夫とともに、お送りくださっているみなさまに心の中でお別れをいたしました。

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次回更新は11月5日(火)、11時の予定です。

 

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