ようこそワイルダネスオブミラーへ

その後何も連絡は無く、そのフォローも事後インタビューも無かった。私は気にとめることもなかった。これは諜報共同体での生き方であり、分室化の一つと言える。

でもある考えが気になった。ボリスとナターシャがロシアのスパイでなかったなら、どうなのか?

もし彼らがアメリカ防諜部から送られた役者で、私の忠誠心をテストするものだったとしたら、どうなのか?

これは私の仕事の微妙な意味合いと世間に知られたプロファイルを考慮するとあながち突飛なこととも言えない。もしそうなら、面接に合格したといえる。ようこそワイルダネスオブミラーへ。

何百エーカーの土地に建てられたCIA本部と付随建物は、木々と網のような小径に囲まれていて、その小径をスタッフが朝や、昼食時にジョギングしたり散歩している。

大学のキャンパスの雰囲気というのが1953年から1961年にかけてCIA長官であった伝説のスパイ、アレン・ダレスの目指すところだった。

彼はCIA本部を元あったワシントンDCの2430E通りから、地方に当たる現在のバージニア州マクリーンに率先して移転させた。

ダレスは他の省庁のうるさい役人の干渉がない田舎風の世界でいて、それでも必要とならばCIA長官はホワイトハウスの大統領執務室に数分で行けるという最高の条件を求めていたのだ。

この森と小径に囲まれた、彫像や記念館、それにガラス張りの事務所棟のあるエリアに例外的な建物が一つ存在する。それはCIAキャンパスにある白い3階建ての木造農家風の物で組織のほんの一部の職員しか、それも最も厳しい秘密取扱許可を得た者でもなかなか入れない物である。

その建物の一部はCIAその物より古く、かつて革命戦争、市民戦争その他アメリカ史の重要な転換点を目撃してきた屋敷でもある。この構造物の公式名称はスキャターグッド-ソーン邸であるが、CIAの内部ではスキャターグッドとして知られている。

私は足かけ7年間、2006年から2013年までスキャターグッドで過ごした。私はそこで諜報のお偉いさんの訪問を受けたり、式典に出席するなどすることは無かった。大概のCIA幹部はこの建物の存在を知ることはなく、ましてや内部に入ることはなかった。

他方、私の組織したグループはかつてCIAにより実行されたことのないような最も政治的に重大な仕事をこの建物を本拠地として行っていた。その仕事にはアメリカ人がほとんど聞いたことのない政府の部門、CFIUSという組織が関わっていた。