第3章 シーズンの記録から見た長嶋②

大打者の指標、敬遠四球

私があえて長嶋人気の一つとして「敬遠四球」を取り上げたのはなぜか?

とにかく入団当初から、いかに長嶋が契約金以上の活躍をしたかを、また選手であったかを“さらに”理解してもらうためである。「入団当初からの活躍の方」が「途中からの活躍」よりもその印象度がはるかに高いと思う。

さて、「敬遠四球」に関する一つの数値を見てもらいたい。

表1の通り、全四球(死球を除く)に占める敬遠四球の割合で2割を超えているのは、長嶋と中村だけである。

写真を拡大 [表1]通算四球に対する敬遠四球の占める割合(%)

長嶋の場合、1960年を見てみると四球70個中、敬遠四球32個で、占める割合は0.457。四球2個に1個ではないか。翌1962年においても四球88個中、敬遠四球35個、0.398で4割である。これは、たまたまそうなったのではない。一つはボール球でもヒットを打つ傑出した技術があったこと。そして長嶋は四球を選べる場合でも“ここで打たなければ”と思って打席に立って臨んだこと。これらの理由が考えられる。長嶋が“ファンの期待に応えよう”としていたことは間違いないだろう。

王の場合は、ファンの期待に応えるには、“ホームランを打つ”という宿命めいたものがあるため、好球必打に徹する必要があったと思われる。