「お父ちゃんの、お目々は、どうして一つしか無いの?」
背中の小さな娘の質問に、
「ああ、それはな、尋常小学校の三年の時に、駅前の荷車に片目を潰されたんだ!」
「凄い騒ぎになって、警察病院で手術して眼球を摘出したんだよ」
「後から、新聞にも載ったって聞いたな」
「そうなんだ、お目々痛い?」
「もう、痛くないよ」
「そう、痛くなくて良かった!」
父親の右目には義眼が入っている、その硝子の目を取り出して、幼い娘に言う、「お前を目に入れたって痛くないぞ! ははははは」
そう言いながら笑う、たかちゃんの父親は、あの太平洋戦争に行った。片目の無い黒眼帯の兵士で、当時の陸軍の中ではかなり有名だった。
黒眼帯の兵士の彼は、兵士としての、射撃の訓練の腕前の成績はいい方で有ったが、しかし、驚く事に戦場では、誰一人として、肩に担いだ歩兵銃で撃った事は無く、全く人を殺していない。
その代わりに、仲間と物資を救って功績を立てて、上等兵となり出世までしていた。 その後、事実上兵長の辞令は下りていたのだが、日本が降伏を受け入れたので、正式な階級昇進の通知が間に合わず、上等兵の階級で本土に帰国した。
臨時稼業
ある時、たかちゃんの父親は、知り合いから拝み倒されて、金魚掬いの屋台を頼まれた。しかし、屋台とリアカー、その一式、金魚の代金はしっかりと請求された。
たかちゃんの父親の三郎の親は、現在の北九州市から出て来て、東京の文京区に暮らし、最後には、東京近郊の多摩川を挟んだ神奈川県川崎市に移った。三郎の父親は、県から表彰されるほどの腕のいい旋盤工で、三郎はその職人の家に生まれた。
兄弟の中で三郎とその兄たちは、長男は志願兵(シベリア抑留で死亡)、次男も志願兵で(南大東島で死亡)、三番目の三郎は召集兵で戦地へ送られ(中国から帰還)、しかし、親の工場は焼失していて、再建は完全にできなかった。
戦地から戻った三郎は、結婚後、漁で海に出たり、工場で働いたりして家族を養っていたが、生活は貧しい。そんな所へ、知り合いから屋台の話が飛び込んできた。
どうしてもと頼み込まれて、一時的に仕事を引き受ける事になった。
金魚掬いの屋台の行商が仕入れを行う、金魚の問屋が有った。そこで金魚を仕入れるのだが、一般人は買う事ができない。戦争帰りの父親は、知り合いの顔で、そこでの仕入れが許された。