プロローグ 昭和時代の少女の幻想物語

この物語は、二十世紀の大きな世界戦争が起こった後の世界の話だ。悲惨な戦争は僅か十数年前の事だった。戦火による一面の焼野原も、草木が覆い、やっと家々が立ち並んで街は復興してきた。

だが、当時の社会では、まだ人々の心に余裕は無く荒んでいたが、そんな中でも、直(ひた)向きに生きる人々も沢山いた。

昭和三十五年頃の日本の、都会に隣接した街は皆、いつのまにか人並みの生活が整い始めた状況だった。まだ戦後のにおいが残る時代に、一人の女の子が誕生した。

その娘の父親は、右の片目が潰れていて左目一つしか無いが、しかし、一つしか無い目に映る娘の姿は、何物にも代えられない大切な存在で有っただろう。

愛する妻が産み落とした小さな命は、やがて、円らな瞳を輝かせた少女へと成長していく。あどけない幼女から、やがて起こる事件を通じ、家族の絆を深めて、少女へと成長して、人としての心の大きな変化をする。

その幻想物語……。

日本が敗戦した戦後という殺伐とした社会では、常識が揺らぎ力が支配していた。ただ直向きに生きていた、そんな家族に、不条理で理不尽な事柄が次々と起こり、行く手に立ち塞がってくる。

そして、過酷な運命が、彼女と、その愛する家族に、大きな問題が、幾度も降り掛かってくるが、彼女と、家族は、その度に互いに身を寄せ合って、荒れ狂う嵐を乗り切る事、それだけが、彼らの唯一の手段であった。

徴兵で送られた戦場で、父親は死を覚悟していたが、上官からの命令で生かされた。その父親が家族に伝えた事、戦場で多くの命が意味も無く失われていく、そんな悲惨な惨状で学んだ事。

どんな中でも、真っ直ぐに、ただ生きる事、それが重要な人の使命だと考える。最後まで諦めずに抗い切れない事態をやり過ごす、そうする事、それが生まれて生きる事だった。

生きる事は希望へと繋がっていると、信じているから家族は生きていけた。嵐が過ぎれば、再び日が差し晴れ渡る。生きていれば、必ず来る、心安らぐ平穏な生活を知っていたからだ。

金魚屋

幼少期の一コマ、娘のたかちゃんを抱え、父親と母親は、貧しいながらも色んな仕事をして、愛しみながら育てた。そして、たかちゃんは歩くのが早く、喋るのも早かった。

世間からは、賢い子と言われて、おませでおしゃまな子だった。夕暮れの帰り道で、まだ五才に満たない、幼いたかちゃんが、父親の大きな背中におぶわれながら、猫の毛の様に柔らかい髪に頬を付けながら、父親に聞いた。