翌朝、坊主頭になった僕を見て、不良仲間は全員爆笑した。廊下ですれ違った中田君も、涙を流して笑いながら言った。
「今までのリーゼントより、よっぽどかっこいいよ」
先生も認めざるを得なかったんだろう。渋々ながら、僕の野球部への参加を許してくれた。僕は本当に一所懸命球拾いをし、声を出した。久しぶりのグローブの感触。バットに球が当たる音。部員たちのヤジ。僕は、自分がいるべきところに帰ってきたんだ。
二年間運動から離れていた僕にとっては、球拾いと草むしりをするだけでも、次の日、動けないほどの全身筋肉痛に見舞われた。それでも毎日の球拾い、草むしり、声出し、そして部内の基礎練習が、僕の体のさびを落としていった。
どうして僕は、こんなに楽しいことから遠ざかっていたんだろう。そして一ヶ月も経った頃、僕の体は、練習をこなすだけでは物足りなくなってしまっていた。
僕は毎晩十キロずつ走ることにした。ただ走るのでは芸がない。電柱と電柱の間にダッシュを入れ、河原のランニングコースではジグザグに走り、変化をつけた。
投手にとって大事なことは、たくさんある。僕が重視していたのは、指先の感覚だ。十八・四四メートルも離れた場所に、自分の思い通りの球を投げ込まなければならない。
僕は常に左手から球を離さなかった。そして投げ込むことだ。懐かしい壁の前に立ち、僕は無心で毎日投げ込んだ。もちろんフォームチェックも欠かさない。
野球は限られた距離のスポーツで、打者と投手との距離、塁と塁との距離、全てが決められた中にある。ということは、自分だけ距離を上手く利用できれば、有利になるのは当たり前だ。つまり、投手と打者の距離を心理的に縮められることができれば、それだけ投手が有利になる。
そこで大事になるのが、フォームだ。もちろん物理的な意味では、十八・四四メートルは短くはならない。でも僕の指から球が離れるのが遅くなればなるほど、僕のコントロールが球に反映されやすい。そして同じフォームから、様々な変化球が投げられれば、より打者は迷う。
僕は毎日鏡の前で、いかに長くボールを持つことができるかを研究した。試行錯誤した後の結論は六つ。強い足腰、よくしなる肘。柔らかい肩、繊細な指先の感覚、球が見づらいフォーム、打者の狙いを感知する感性だ。
ではどうすればいい? 肉体的な訓練はいくらでもできるが、最も難しいのは感性だ。でも、僕には自信があった。なぜって? 普通の野球少年とは違って、僕は野球ばかりをやっていない。皆が野球に打ち込んでいる間、僕は悪いことをやっていた。
彼らの知らないことを僕は知っている。当然、物事の感じ方は違うはずだ。ならば、今までの人生の経験を総動員して投げればいい。
【前回の記事を読む】「君は今、天に試されているんだ。逃げるのか、それとも戦うのか。」その夜、僕たちはたくさんのことを話し合った。