集中して作業に取り組む孝太は、近づく智子に気づかなかった。
サッカーグラウンドほどはある広い一区画は、天井や両サイドの窓の近くは氷点下に近い寒さだけれども、フレームから伸びた赤外線ヒーターがそれぞれの苺の苗の成育に必要な温度を適宜与えている。
「お昼にする?」
背後からこっそり近づいた智子は、孝太の耳のそばで囁(ささや)いた。
「あーびっくりした」
孝太は智子に全く気づかず不意を突かれた。
「そろそろお昼にしよ」
智子は笑みをたたえ、孝太に体を摺(こす)りつける。
「うん、でも全部終わらせたいんだ。先に食べてて」
「急がなくてもいいのに」
「今日中に終わらせたい」
「なぜ? ここには二人しかいないんだよ。お昼は一緒!」
智子は、わざとふざけた表情を作って、甘えるように孝太に訴えた。
「うん、でも……」
「でも何よ。なんで急ぐの」
「この苺さ、明後日出荷しよう」
普段と違う孝太の目は、なぜか優しい。
智子は少し混乱した。
「まだ4日は早いよ」
「熟追(ついじゅく)するよ」
「だけど値段が下がるよ」
「でもロスが減るから、最終売上はあまり変わらないよ」
「なんで、突然そんなこと……」
「着陸したいとか、思って」
「着陸? ねぇ、地上が恋しいの?」
「うん」
「そんなに早く地上に降りたい?」
智子は少し訝(いぶか)しげに、笑みを作って孝太を問い詰める。
「うん」
孝太は拗(す)ねた子供のような表情をしている。
「なによ、変ね」
「明後日、着陸したい」
「本当に、なによ、急に」
「うん」
「〝うん〞ばかり。私と二人きりって、飽きた?」智子は軽くカマをかけたつもりだった。
「そんなんじゃないけど。なんかさ、タケシとかと飲みに行きたいし、ほかの友達にも会いたいしさ」