第3章 
「地震予知」の絶望 ―後編―
またしても予知できなかった「3.11」

М9の大地震が「突然」日本列島を襲った。何もかも呑み込んで仙台平野を奥へとさかのぼる、あの黒い津波の中継映像を見た者は、生涯忘れることはできないであろう。

大津波の襲来を予想できないまま、非業の最期を迎えざるを得なかった方々の無念を思う時、「次」までにできる備えは何でも、というのが共通項でなければならない。

ところが、震災直後から、官学揃っての「想定外」発言から始まって「地震学の敗北だ!」、「リセットの時!」、「予測では何も始まらない!」などなど声高のコメントが沢山聞かれたが、それから10年以上が経過した。

その間、政府の中央防災会議は、2017年8月の専門部会の報告書で「現時点においては地震の発生時期や場所・規模に関する確度の高い予測は不可能」とし、地震の予知・予測の議論に終止符を打ったと言われる。

「狭義の地震予知」が可能になるには、まだ100年以上かかる(当面は不可能)というのが学会・政府内の定説となっている。

その中で、確実に迫り来る次の大地震・津波から国民の生命・財産を守るために「国はその組織及び機能の全てを挙げて、万全の措置を講ずる責務を有する」(災害対策基本法第3条)とされている。

国を挙げての備えはどうか?

1.2011年3月11日午後2時46分「東北地方太平洋沖地震」(東日本大震災)発生

地震の概要

•規模:M9.0(この領域では未知の規模で、869年貞観の三陸沖地震と1896年の明治三陸沖地震級の津波地震が合わせて襲来したと考えられる)

•震源:三陸沖。三陸沖中部から茨城県沖までのプレート境界を震源域とする逆断層型超巨大地震(深さ24km)

•最大震度7:宮城県栗原市、6強が宮城県、福島県、茨城県、栃木県の37の市町村。揺れによる被害は津波に比べて大きくなかった。(以上、理科年表2024)

•犠牲者:22,318人(死者・行方不明者、震災関連死含む令和5年3月1日現在 消防庁)

•震源域:南北450Km,幅200Km、ずれ終息までに160秒。牡鹿半島が東北東に5.4m移動(気象庁「気象庁技報」133号 2012年)

•死因:東北3県の92.4%が溺死。(兵庫県南部地震では約9割が圧死)(警察庁「平成23年版警察白書」)