4.東海地震を予知せよ‼
1970年代半ば、東海地震は「いつ起きても不思議ではない」という切迫感と「観測を強化すれば直前予知も可能である」という見通しが広まった。1975年に中国が、遼寧省で起きた海城地震の予知に成功したという報道をきっかけに、世界的な地震予知ブームは頂点に達していた。
こうした背景の中、東海地震判定会の設置、大規模地震対策特別措置法(以下大震法)の制定など官学挙げての集中的な取り組みがなされた。だが、こうした「地域指定型の地震予知作戦」は功を奏すことなく、突然1995年1月の阪神淡路大震災を迎えることとなるのである。
「東海地域判定会」を設置
南海トラフ地域では概ね100年から150年の間隔でM8クラスの大地震に襲われて来た。
1707年の宝永地震のように東側と西側で同時に地震が発生したケース、さらに1854年に東側で安政東海地震が発生、その32時間後に西側で安政南海地震が発生したケースがある一方、1944年東側で昭和東南海地震が発生、その2年後の1946年に西側で昭和南海地震が発生したケースもあった。
しかも、それまでの2回の地震と違い、東側の震源域が遠州灘から駿河湾奥までは達していなかったため、1970年頃からいわゆる「東海地域」は120年以上もの間、地震の空白域となっていることが地震学会や地震予知連絡会で議論となったのであった。
1976年10月には内閣に地震予知推進本部が設置され、 1977年4月には「連続観測データの急激な変化と大地震発生との関連性について緊急に判定する組織」として、地震予知連絡会(国土地理院長の私的諮問機関)の中に「東海地域判定会」を設置することとした。事務局は気象庁。
東海地域判定会の発足に伴い、大規模な地震の発生について直前予知の情報が出された場合の防災対応措置を定める必要性が生じた。
国土庁はじめ各省庁の中には、地震予知技術が未熟である等の理由から、立法措置に消極的な見解もあったが、対応策なしに予知情報が一人歩きすることは問題である等の理由から全国知事会(特に当時の静岡県知事山本敬三郎氏を中心として)が立法要請を行った。
【前回の記事を読む】地震の予知は減災の一手段にすぎない。第1に耐震構造をもって武装すること、第2に地震知識の普及が必要。
次回更新は10月8日(火)、8時の予定です。