ある日、祐経はずいと膝を進めて将軍頼朝(よりとも)に上奏する。
「四海波静かにして、我が君の御威勢に従わぬ者、今や唯一人もない世の中。しかし、油断は大敵でございます。手近なところにも、将来には怨敵になろうと思われる者がございます」
「何、祐経よ。異なことを申すではないか」
頼朝は眉をひそめる。かたわらでこのやり取りを聞いていた周囲の武士たちは、「チッ」と舌打ちして祐経を睨んだ。
「祐経め。またしても無用な讒言(ざんげん)をしおって。陰口の好きな奴ほど、見ていて腹立たしいものはないわ。今度は誰のことを言うつもりであろう」
しかし、祐経は周囲の白眼視など、一向、意にかいさない。
「故伊東祐親の孫が二人、今は曽我太郎の家で育てられております。今はまだ幼いが、将来の禍根となるかと……」
その名を聞いて、頼朝はサッと顔色を変える。
「伊東祐親の孫だと……」
……この一時に熱した怒気の裏には、実は浅からぬ因縁がある。頼朝が伊東祐親を死に追いやったことは前述したが、その恨みは、政治上のことだけではなく、忘れようにも忘れられない、壮絶な私怨があったのである。
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