その年の六月のことである。ちょうどトマトも最盛期をむかえる前で、やっと時間に余裕ができたので病院に行った。本当は一年程前から、「なんかおかしいぞ」と思っていたのだ。
更年期かもしれないと思って、女性保健薬をいろいろ買ったりしていた。頭痛薬も手放せなかった。最初はどこから治そうかと思うほど、様々な症状が出てきていたのだ。
とりあえず、歯医者さん。そこで聞いた初めての言葉が気になって仕方なかった。「三叉神経痛」という言葉だ。インターネットで調べると、私の症状にピッタリだった。
でも、まさか・・・ぜんぜん大丈夫な日もあるのだから、気のせいだと思い込もうとしていた。そんな時に、ある新聞が「三叉神経痛」をとりあげていた。私は、誰にも見つからないように切り取ってしまい込んだ。
読めば読むほど大変な病気だとわかった。発作が起きれば激痛である。でも、それはすぐに消える。それが、私を一年も遅らせた理由でもある。そして、姑の介護のことも気になった。「もし、私が入院でもしたらどうなるのだろう」と思わない日はなかった。
頭痛薬も効かなくなり、食事もできないほど頻繁に発作が起きるようになった。私は、近くの病院から紹介状をもらって、一時間以上もかかる総合病院へ夫と二人で行った。
「脳腫瘍ですね」そう簡単に医者は言った。
脳神経外科など、一生行かないと思っていたのに、私たちは今そこにいる。そして、とんでもない病名を告げられた。私は、夢心地で聞いていたけれど、夫はきっと顔色が変わったにちがいない。
【前回の記事を読む】輪島朝市に歌声が響く。姑のことを「変わり者」「恥ずかしい」と言う人もいるが、私はそう思わない。そんな姑も年齢には勝てず…
次回更新は9月30日(月)、11時の予定です。