気がついたらこんなことに
自分で作った野菜を自分で値段をつけて売る。知らない人と話ができる。友人との社交の場にもなる。そして、古き良き物の再確認と新しい物の再発見の場である。
私と息子は、朝市の魅力にはまりそうになっている。私が配達を終えて、急いで朝市に向かうと「いくら売れたよ」と息子は報告する。
「さあ、交代するよ。ありがとうね。」
息子は、アイスを買ったり、本屋さんも行ったり、なんだか帰りたくなさそう。
朝市音頭は歌えないけれど、私なりの精一杯のまごころで、観光客や地元のお客さんたちをもてなしたい。昔、そうであったように、「朝市は市民の台所」としてもう一度、復活させたい。輪島朝市の原点に戻るということだ。
今、姑は脳梗塞のリハビリ中だ。少しずつ後遺症も出ている。一回目より二回目と、だんだん後遺症は強くなってきた。朝市でもう一度、声高らかに朝市音頭が歌えるように、心から応援している。
野菜の生産販売をしているわが家はとても忙しい。
旧盆をひかえて、スーパーや小売店では、野菜が普段の3倍以上は売れている。開店時間までに野菜を配達しなければならない。わが家は、店が売りやすいように全部パック詰めにして配達している。
だから、早朝の作業場は、パートさんと共に戦争である。電話がくれば昼でも夕方でも野菜を補充しなければならない。朝市にも行きたいけれど、身体が空かない状態である。忙しさのど真ん中にいるけれど、私はとても幸せである。