だが、源次郎と清三郎は結局、父と同じことを新之丞にしていた。それが情けなくて、申し訳なくて、兄の愛情があまりに眩しくて、清三郎はしばらくそのまま立ち尽くした。ふと目に入った仏間の母の位牌が、清三郎を諫めているように思えてならなかった。
佐太郎の話を聞いてから清三郎は悩んでいた。
(どうやったら、新之丞兄上と親しく話が出来るだろうか)
そればかりが頭を巡る。源次郎と共に新之丞を避けるようになってから、十年近く経っている。急に幼い頃のように気軽に口を利く訳にはいかなかった。何か良いきっかけがないか源次郎に相談するとしばらく考えた後、源次郎は言った。
「たまには、兄上に菓子でも差し上げよう」
井口家の三兄弟は甘いものに目が無い。その中でも新之丞は随一の甘党で武士としての体面がなければ、評判の茶店で汁粉を腹いっぱい食べたいと常々思っている。いつだったか真面目な新之丞がそう漏らしたことがあったらしい。何処かに安くて美味い菓子はないかと二人で探し回った。
浅草に柏餅が評判の三崎屋という店がある。牧野道場の門人、狭山孫七から聞いた話だった。なんでも孫七の親戚から時々貰うのだがすこぶる美味く、ケチな叔母が持ってくるのだからそれほど高くないに違いないと言うのだ。
孫七の母は料理上手で、孫七も舌が肥えている。俺の嫁は料理が上手くなければ務まらんと豪語するほどの男が美味いという柏餅だ。新之丞に贈るのにふさわしかろうと源次郎と清三郎は連れ立って出かけた。
神保町の屋敷から半時ほど歩き、門前町として賑わう浅草、三崎屋の前に着いた。評判に違わずかなり繁盛しているようで、店の前には行列が出来ていた。
「しまった。もう並んでいるとは」
源次郎の顔が曇った。開店後すぐならば、いくらなんでも並んではいないだろうと踏んだのだが、予想以上に三崎屋は流行っているようで、すでに二十人は並んでいた。
「困りましたね。兄上、手ぶらでは帰れませんが、並ぶわけにもいかないですし」