仕事をしなくなり、自分で積極的に出掛ける意欲も無くなると、人は何のために生きていくことになるのだろう。
仕事にかまけているうちは人生の意味などろくに考えもせず、仕事の達成感と仕事で溜まったストレスの発散に精を出していれば良い。仕事帰りの同僚や友人との一杯やゴルフ、釣りなどの趣味に夢中になっているうちは良いが、酒量も減り体力も衰えてくるとちょうど良いことに色々な意欲も減退して何も考えずに歳を取っていくような気がしてならない。
女性のいる店にたまに顔を出し、歓待されることで多少の気持ちの延命は出来るかもしれないが、遅い時間に都心の店から家に帰るのが億劫になると足も遠のいてくる。
「定年退職した」
「子供が独立した」
「家族や親戚、友人に会える機会が少ない」
「夢中になれる趣味が無い」
「夫婦の触れあい、会話が無くなった」
「配偶者が亡くなった」
「長年飼っていたペットが死んだ」
「重い病気にかかった」
これらは老人性鬱のきっかけである。正式な病名ではないが六十五歳以上の高齢者がかかる鬱のことを老人性鬱というらしい。
秀司も段々当てはまる項目が増えていくような気がする。妻との営みは十年以上無いが、まだ性欲はあるから困ったものだ。
【前回の記事を読む】「パパ待って~!」と追いかけたけれど、パパは私を無視して走り去っていった。「いってらっしゃい」と言いたかっただけなのに……。
次回更新は8月25日(日)、20時の予定です。