プロローグ

「じゃあ行ってくる」

「行ってらっしゃい。今日は晩ご飯は?」

「今日は午後現場に寄るから、たぶん外で食べてくる」

「わかった。気を付けて。あまり飲み過ぎないようにね」

毎朝くり返されるサラリーマンの夫と専業主婦の妻の出がけのやりとりだ。裕子が仕事を辞めて専業主婦になったのは二人目の子供が生まれてからだから、もう二十五年以上続いていることになる。

夫婦とも仕事を持ち続けるというスタイルを諦めて裕子が専業主婦になったのは、一人目の長男が赤ちゃん返りをして毎朝泣いて保育園に行くのを嫌がり、二人目の長女は長男と同じ保育園に入れず遠くの無認可保育所に預けざるを得なかったからだ。

秀司は出来る限り仕事をさっさと片付け、必要最小限にしか残業はせず、家事、育児、何でも積極的に請け合って二人で家庭を切り盛りしてきたつもりだが、母乳育児を理想としていたこともありどうしても母親の負担が大きくなる。

保育園で子供の具合が悪くなるとまずは母親に連絡が入り、仕事を早退して引き取りに行ったりすることになる。特に長男は身体が弱く、すぐに熱を出した。

朝の検温で少しでも熱があると保育園は預かってくれず、秀司か裕子かどちらかが半日ずつ休暇を取得するか、急遽祖母に来てもらって面倒を見てもらったり、いずれにせよ大変な時期が二、三年は続き、一人目はまだしも二人目の長女が生まれてからはそのような苦労が二倍を超えて四倍にもなったようだった。

このままでは仕事に支障をきたして同僚にはもっと迷惑を掛けることになるし、具合が悪くてぐずり母親にすがる子供たちを引きはがして人に預けるのがもう辛いから仕事を辞めたいと秀司に相談してきたのだ。

裕子は滅多なことでは弱音を吐く女性ではなかったので、秀司は夫婦共稼ぎという理想を切り替えて、裕子の希望を受け入れた。

秀司は裕子との二人の生活に不満は無い。子供たちからは「お父さんとお母さんは仲がいいね~」などといまだに冷やかし半分でよく言われる。