だが何かが足りないと感じていたところだった。このまま歳を取りこの先何かをやり遂げる意欲も無くなって、死ぬまでただ生きるだけの人生になるのだろうか。何かが欲しい。

その何かに使う時間を確保出来ることも、裕子が仕事を辞めて家庭に入ることをあっさり受け入れた理由の一つに違いなかった。とは言え平凡でも幸せな裕子との日常を壊すつもりなどは全く無かったのだ。

秀司と裕子が出会った昭和五十年代は、結婚したら妻は専業主婦になるカップルがまだまだ多い時代だった。女性は職場の華と考える大企業に就職し、腰掛けOLとして飲食・買い物に精を出し、社内で結婚相手を見つけて寿退社をするのが理想的な女の生き方だ。

だから女性は男と結婚するのではなく男が勤める会社と結婚するのだ。秀司たちの母親世代も専業主婦が多く、娘のそんな生き方が当然だし一番安心出来ると考えていたのだろう。だが秀司と裕子はそんな風潮に馴染めなかった。

男が一人で生活費を稼ぎ、女が家事と子育てをする。男は家に帰れば上げ膳据え膳でいばりくさる。秀司も裕子もそんな家庭で育ったので、自分たちの親のようにはなりたくないという自然な親への反発もあったと思う。

友人がセットした飲み会で、ショートヘアでナチュラルメイク、大きな目で男と目を合わせることを厭わない女性がいた。周囲の女性がワンレン・ボディコン、濃いめの化粧でブランドや海外旅行の話で盛り上がるのとは真逆のような女性。それが裕子だった。

最初に交わした会話はお互いの仕事の内容についてだ。自分の知らない相手の仕事の世界をお互い興味深く聞き入り、かなり突っ込んだ話をしたと記憶している。裕子は自分の考えをしっかり持ち、自分の意見をはっきり言う女性だった。

何の照れも無く結婚観にまで話が及び、すっかり意気投合した。お互いの考え方が近ければ親しくなるのも早い。そして秀司と裕子は結ばれた。