定年延長に応募するとは安易な道に流れたと言えばそれまでだが、二人の子供たちは家を出てそれぞれ結婚もした。住宅ローンは払い終わっており、今の給料でそこそこの遊びや飲み代には困らない生活は出来ている。

定年後は厚生年金に加え企業年金も出るので、老後の心配は特にしていないのだが……。

秀司は六人の年寄りを送った。自分の両親、妻の両親、そして子供がいなかった父の弟夫婦だ。父親と義母は長患いもせずあっさりと八十代前半で逝ったが、あとの四人は大変だった。

特に叔父は六十代から入退院を繰り返し、叔母が逝ってからは七十歳から九十歳近くまで老人保健施設と病院をかわるがわる出たり入ったりしたあげく、最後は病院で殆ど寝たきりになった末に息を引き取った。

義父も似たようなもので、五十代で脳梗塞を二回やって長く患い、二十年近く特養と病院を行ったり来たりしながら旅立った。

叔母は七十代で庭仕事をしているときに踏み台から落ちて大腿骨を骨折し、以後歩けなくなってしまい、本人と叔父の希望で胃瘻をして延命に取り組んだが、二、三年病院と老人保健施設を行き来した末にやはり病院で亡くなった。

皆七十歳を過ぎた頃からは自分一人で出掛けることも出来ず、秀司夫妻を頼ってたまに買い物に出掛けるのが楽しみと言えば楽しみで、両親と義父母には孫の顔を見せてあげられたのが秀司たちのせめてもの救いだった。

六人の最期に立ち会っていつも秀司が考えたのは、みんな晩年は何を楽しみに生きてきたのだろう、ということだった。

仕事をして、家族を持って、家のローンや家賃を払って、子供の成長を楽しみに、或いは趣味を楽しんだり仕事に没頭して生きてきた。

だが高齢になって子供たちは独立して新たな人生を築き始める。テレビコマーシャルなどでは、定年退職後は趣味をたくさん楽しめると、資産作りや保険への加入を勧める。

だが実際は仕事を辞めると生きるモチベーションが下がり、次第に身体の自由も利かなくなってくると、日々何かの達成感を得られることも無く、ただ死ぬまで生きていくだけではないのか。

もっともその頃には感性も大分鈍り、生きる意味など面倒くさいことを考えることも無くなってボンヤリと過ごすことが多くなるのも事実のようだが。