天国と地獄の両方を行ったり来たりする感覚になったが、最悪の事態は回避した。義母のお陰か、神の救いか、医療機関のお陰か。万物に感謝した。

この日の夜、私は思い出した。30年前のある朝、亡き義母と面談して、私は「お嬢さんを下さい」と頭を下げた。義母からは、「母子家庭で苦労をかけた娘。死ぬまで守ってほしい」と頼まれた。

今まさに、私は何をしているのか? 自責の念に耐えられなくなった。誰もいない食堂の暗闇の中、月に向かって謝罪した。

14 闘えないことのつらさ

■2021年12月10日

夜中に、銀行員時代からお世話になった1歳年上の先輩から激励メッセージを頂いた。とてもありがたいことだ。その後段に先輩の奥様に関してのお知らせが記載されていた。

「子宮がんが肺に転移。医師から最後通告を受けた」との文字に、私は頭が真っ白になった。過去、ショッピングセンターで奥様に挨拶をしたこともある。仲むつまじいお二人が印象的だった。

文末には「妻は抗がん剤治療を拒絶した。うつ病にもなり話さなくなった。これだと病とは闘えない」と締めくくられていた。……返す言葉が見つからず。

お見舞いの言葉を送るのが精一杯だった。ご自身も大変な中、激励メッセージを頂いたことに心から感謝を申し上げた。

私自身は勤務先の社長や社員からも日々励まされ、ここまできた。妻は今日も頑張って生きている。医師や病院のスタッフも、退院してからの通院準備に入ってくれている。

置かれた環境の違いで闘うことも許されなくなった方がいることを知り、私と妻は更に頑張らないといけない、……と感じた一日だった。