第三章 ぽんこつ放浪記

6.DVとは何なのか:DV原型の末路~父と母・夫婦に下された裁き

逃げないという選択

母子家庭だからと差別を受けたくなくて頑張り続けたそのお義母さんを、私は中学時代から知っていた。お義母さんは子どもの命を守るためだけに必死だったのだ。

ただ、暴力はいけないよと、誰かが教えてあげればよかったのに。子ども時代の夫はそれで傷ついてきたのだ。

夫は、自分の妻が母親になったことで自分の母親を思い出したらしい。そして、自分の母親と違って子どもを守る私を見て益々母親を憎んだ。これは彼自身が言った言葉だ。

私が子どもを可愛がるほど夫婦の溝は深くなった。暴力が始まり加速した。暴力夫からは逃げなければ危険だ。暴力は依存症。アルコール依存と同じ。妻ごときに止められない。

子どもを守るには絶対、避難しなければならない。しかし夫が子どもたちの父親である事実は子どもたちに一生ついて回る。絶対に割り切れない。だったら、生きているうちにその父親に改心していただくほかない。

改心したところで時を戻すこともできないし、払われた代償はあまりに大きい。けれど、心からの「ごめんね」を聞くことができれば過去は赦すしかない。

子どもたちを支えるために残りの人生を使ってほしい。親となった責任は離婚と関係ない。子どもは親から法的にも逃れられない。だからこそ、暴力に吞み込まれた過去に向き合う。

DV路線廃止、線路を塞ぐ宣言をする。夫・お父さんの心からの「ごめんね」を聞きたい。子どもたちと笑いあえる姿を生きている間に見たい。

いつか、廃線の線路には草や木が生え、虫たちがやってきて鳥がさえずるように、そんな列車がかつて走っていたらしいよ、という懐かしいだけの風景に変われる日を願う。