中国唐代の僧玄奘三蔵もここに立って、同行の仲間と共にゴータマに思いを馳せたことであろう。玄奘三蔵は国禁を犯して、死罪を覚悟して、長安を発ち、死と隣り合わせの旅で天竺(インド)にやってきたのである。

聖徳太子を始めとする、日本仏教の巨星たちも、ここに立つことはなかったと思われる。中田たちツアーの8人は、旅行の一端として、あっさりとここに立っている、この僥倖。

陽が昇り始めた。太陽が丸く小さく遠くの山の上に姿を現し、まだ周りの山は黒く、眠りの中にいるように見えたが、陽の光は雲を染めて、放射状に輝きだした。ゴータマもこの景色を見たことであろう。

日の出は、中田は大東亜戦争敗戦の翌年の、昭和21年を思い出す。その時、中田は6歳で、4月、地元の国民学校に入学した。国民学校最後の生徒である。

思い出すのは、今も持っているが、国語の教科書の、冒頭の言葉である。

「ヨミカタ一 一ネン上 モンブシャウ」と書かれた表紙を捲るとアカイアカイアサヒアサヒ という文字が目に入ってくる。

ゴータマは、太陽はそう大きなものではなく、東に昇り西に沈む、と思ったであろうか。

中田たちは、この大地が地球という球体であり、太陽は高温のガス球で、直径は地球の100倍以上大きいことを知っている。