第二章
九
晩年、ゴータマはほとんどアーナンダ一人を連れて遍歴していたようである。権威はあったが、教団を率いている様子はなかったという。ゴータマの最後の旅はラージャガハの鷲の峰から始まった。幻影が中田に入ってくる。幻影がゴータマの言葉となって語り始める。
「〈アーナンダよ、カピラヴァットゥへ連れていっておくれ。わたくしにもう一度雪山を見せておくれ。わたくしの母が父と過ごしたところだ。わたくしは故郷で我がシャカ族と共にコーサラを迎えたい。〉
〈ラージャガハは楽しかった。ヴェーサーリーは楽しかった。サーヴァッティーは楽しかった。人間の生命は甘美なものだ。これがヴェーサーリーを見る最後となろう。〉」
ゴータマは死期の近いことを察していた。アーナンダと共にヴェーサーリーで雨安居(うあんご)に入るが、ここでゴータマに恐ろしい病が生じた。ゴータマはよく苦痛を耐え忍んで回復した。アーナンダに不安が忍び寄る。
(尊師は亡くなる前に、教団の跡継ぎを指名して下さるに違いない。最後の説法をして下さるに違いない。)
ゴータマは弟子の期待の誤りであることを諭す。
幻影が中田に入ってくる。幻影がゴータマの言葉となって語りだす。
「アーナンダよ、修行僧たちにわたくしは別隔てなく悉く理法を説いた。何物かを弟子に隠すような教師の握拳(にぎりこぶし)はわたくしにはない。現在の、たった今を目覚めておれ。気を緩めるな。
アーナンダよ、〈わたくしは修行僧の指導者である。〉とか、〈修行僧はわたくしを頼っている。〉とか、〈わたくしがいなければ教団は成り立たない。〉とか、そのような思いはわたくしにはない。存在し生ずるものの条件、因縁は、わたくしの力ではどうすることも出来ないのだ。自分を頼りにしなさい。わたくしを頼りにして何になる。」
ゴータマとアーナンダはパーヴァーという所に至り、鍛冶工チュンダから食事の招待を受ける。出された茸料理を食べたゴータマに病が起こり、赤い血が迸り出て死に到らんとする激しい苦痛が生じたという。血便を伴った下痢である。乞食(こつじき)によって生きるということは命懸けのことであったかもしれない。
出家が修行に励むことが出来るのは、福徳を願う在家の供養者がいるからである。供養されたものは凡て有難く頂くということになろう。供養者はそのことを知っていたであろう。
鍛冶工は身分制度の四段階では最下層のシュードラに属するとされ、バラモンは賤しい身分のものからの食べ物は受けてはならなかったが、行為によって賤しい者となる、とするゴータマは、バラモン教の規定を公然と踏み躙った。