忍は一年後の十歳のときに静岡に来て、恵介との養子縁組は解かれた。政二の忘れ形見である誠司、廣海、忍は「狭いながらも楽しい我が家」を絵に描いたような子供時代を過ごし、成人してそれぞれの家庭を築いた。

八郎は妻・房子と、三人の子供たちのために、身近な人間を愛しながら、地位や名誉とはかけ離れた生活の中で、一人の男として自分の生涯を捧げたのである。

八郎は生涯たくさんの詩や歌を作っているが、愛する房子を詠んだものが多い。

 

君を想い君を慕いて四十年

我が生きる道は君なくてなし

小さき幸いとしと思う夏の日に

川面に白き妻のくるぶし

ペダル踏みて一里三里は近かりき

我が背に君の温もりあれば

 

しかし、房子と八郎には、生涯ぬぐい切れない悔いがある。それは、三男・武則を恵介の下に置いてきてしまったことである。

十九歳になった武則が、あんなにかわいがってくれた恵介の愛を失ったのはなぜか。養子縁組を解かれた経緯と、その後の武則の転落の人生については、「兄 武則 ── 運命に翻弄された男」のところで書くが、実の親にも養父にも捨てられ、脱落した人生を歩んだと言っても過言ではない。

武則は、四人の子供たちの中では一番早く、一九一六(平成二十八)年二月、七十二歳の生涯を閉じてしまった。

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