八郎は、房子を守りたい一心で、房子と一緒に自分が出て行くと恵介に告げた。恵介の手足となって働き、恵介から信頼されていた兄弟の絆は、この出来事の中で断ち切れたのである。

八郎は恵介から百万円(今の貨幣価値にすると、千五百万~二千万円)というお金をもらって、房子と誠司、廣海を連れて静岡にいる旧友小久江の家の二間に居住を移した。

かわいがっていた九歳の忍を置いてきたのは心残りだが、武則とともに恵介の養子になったのだから、諦めざるを得なかった。忍は武則と同じ慶応幼稚舎に入ってすでに三年生になっていた。

八郎は、お手伝いのキヌさんとコトさんに今後のことを頼んで、武則や忍が学校に行っている間に、辻堂の家を後にした。

八郎は、兄・政二の妻だった房子を一生愛そうという想いから、恵介と袂を分かってしまったのである。

静岡で房子が美容師として生きる道を助けながら、政二の子供たちと暮らし始めたが、房子との結婚届を出したのは、一九六〇(昭和三十五)年一月十九日、政二が他界して一年半後のことである。

兄嫁・房子に一目惚れしてから、実に十七年の歳月が経っていた。房子三十九歳、八郎四十二歳のときである。

それから八郎が他界する九十八歳までを書いていたら、それだけで一冊の本になってしまうので、簡単にする。

静岡へ行ってから旧友小久江に騙されて、兄・恵介からもらった百万円の大半を失ってしまったが、借金をしながら美容院を建てた。