わたしは自分の家庭をかえりみた。
わたしの家は小作農だった。父は若い頃は丈夫で働き者だったそうだが、わたしが学校へ行く頃になると、腎臓が悪くなり、床に臥(ふ)せっていることが多くなった。
大金を用意して都会の病院へ行かなければ、本格的な治療はできない、と言われ、父はすべてをあきらめた。
父がじゅうぶんに働くことができず、母も二人分働くというわけにはいかなかったので、わたしの家は貧しかった。
わたしの家が貧しいのは、「公平な分配」の結果だった。理由はなんであれ、並みの人より働くことができなければ、収入が少ないのは仕方のないことで、わたしもその現実を受け入れていた。
中学校の修身(しゅうしん)の時間に、矢絣(やがすり)先生がこんなことを言っていた。
「努力しない人生、努力できない人生というのもあっていいのです。でもそうした人が、努力する人と同じような人生を送れないからといって、恨んではいけません」
矢絣先生には、子供の頃に厳しい教育で鍛えられた人特有の、強さとやさしさがあった。先生はのちに、黍良県で初の女性校長になった。
わたしも矢絣先生の言うことはもっともだと思うが、でも世の中には、努力しても報われない人生というのもあるのだった……。
フルグナには貧しい人がいない、などと言われるが、このあたりのことはどうなっているのだろう。フルグナにも怠けている人や、さまざまな事情で働けない人たちがいるだろう。その人たちは、貧しくないのだろうか。
労働に応じた公平さなら、当然貧しい人が出てくるはずである。結果を公平にするなら、誰もいっしょうけんめい働かなくなって、国全体が貧しくなるだろう。
フルグナは国も人も貧しくないとしたら、そこにはいったい、どのようなしくみがあるのだろう……。
【前回の記事を読む】「社会を変えれば、貧しい人たちは救われる」労働者の集会で…それって本当?
次回更新は6月13日、11時の予定です。