権堂栄蔵の妻、佳子は、いつも難しい顔をして不機嫌に帰ってくる栄蔵が、たまに上機嫌で帰ってくることがあり、そんなときはすぐに風呂に入るので、常々不審に思っていた。

あるとき佳子は、栄蔵が風呂に入っているときに、持ち帰った鞄の外ポケットから書類が少し飛び出しているのを見つけた。大事な書類が落ちては大変と思い、それを鞄の中に入れようとしたとき、その紙は画用紙で、絵が描かれているのが見えた。

気になってそれを取り出したところ、そこには子供の稚拙な絵ではあったものの、男性の絵があり、その下に「おとうさん」と書かれていた。そして、左側に、名前が「あまちさつき」と書かれていた。

佳子は、これで栄蔵に愛人がいること、さらに子供までいることが分かり、愕然とした。自分には子供がいないにもかかわらず、愛人の下に子供がいることが、どうしようもなく悔しかった。常々、自分に子供ができないことが申し訳ないという思いもあって、栄蔵の浮気には寛容な態度を取ってはいたものの、子供の存在はもはやその域を超えていた。

佳子は、風呂から出てきた栄蔵を問い詰め、愛人と子供の存在を確認したのである。そこから栄蔵は、佳子から厳しい監視を受けることとなり、留美子と紗津季の下に顔を出せなくなった。

寂しい気持ちを抑えながら事業に打ち込んでいた栄蔵も、失意のまま、病に倒れることとなったが、それを留美子に知らせることもできないまま死去してしまった。

ただ、死期を悟った栄蔵は、遺言を残した。かわいい紗津季に遺産を残したのである。

佳子はあくまでも紗津季の認知を許さなかった。それでも、子供である以上いずれ相続の問題が生ずる恐れもあった。そこで、栄蔵は、認知をしないかわりに、紗津季に遺産を残すことを認めさせたのである。妻も認知をしないこと、そして、そのような争いをしないことを条件に、紗津季に財産を残すことを許した。

その結果、栄蔵が紗津季に残したのが金融会社の権堂商事であった。

権堂商事の株弐萬株は、同社の発行済み株式の百パーセントであり、この会社が、紗津季の勤める病院の資金を出して経営していたのである。そして、病院の名称の権栄会というのは、権堂栄蔵の名前から取ったものであった。

つまり、遺言により、権堂商事を紗津季が引き継いだ結果として橘病院の経営者の地位も引き継ぐことになったのである。しかし、紗津季は看護師の仕事が好きであり、辞める気はなかった。そしてここに、ギャッパーが誕生することとなった。

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