回想の母

何故だろう……? そう言えば、この少女青山由紀子は好夫達にいじめられていたが、ある日のこと英良は母親に「由紀ちゃんを助けてあげなさい」と言われ一度だけ助けたことがあった。

英良の母は由紀子がいじめにあっていたことを知っており英良の話からも母は分かっていた。それ故、母は由紀子に助け船を出してあげろと英良に言った。

ある日の午後その出来事は起こる。

由紀子が図書館から借りた絵本を返そうと教壇に置いた時のこと。その絵本の中のあるページを見た好夫が言った。そのページは糸がほどけ、皆が放っておいたもの……。それを由紀子の母親が縫い合わせて直していた。そのページを見て言った好夫の言葉から始まった。 

「青山さんが、これを直したの?」

好夫は縫い合わされたページを開きそこを触りながら指を差して言ったのだが、それには訳があった。由紀子の母親が縫って直したところが元の縫い目より数ミリ程度だがずれていたのだ。

それを見つけた好夫は由紀子を問いつめて言った。彼女は子供ながらに表情を変えずに黙っていた。その時、英良は自然に言葉を放った。

「いいじゃないか……」英良は好夫の言動を遮断した。

それは全て由紀子の母親が善意でやったことであり、それは完全な形で修復できなかったにせよ、責められることではなかった。

その後も好夫は由紀子を、重箱の隅をつつくようにじわじわといびり始めた。英良はそんな好夫に付和雷同もせず、由紀子に対する好夫の執拗とも言える言葉をことごとく断ち切っていった。

「なんで英ちゃんは、青山さんの肩を持つ?」好夫は嘲った。

今思えば、英良はいじめの経験を持っていた。しかし、いじめた相手の女子に好意を抱かれた……不思議なことだった。由紀子はあのようなことがあり英良に特別な感情を持った。英良は特別な感情などみじんもなかったにもかかわらず、好感を持たれた。

英良の分からないところで感情が動き、それが善であれ悪であれ、英良の知らないうちに知らないところで蠢いていた。

英良が中学二年生の時にある女子から年賀状が届いた。裏面には「英良君好き……誰にも言わないでね」と書かれていた。

その女子は英良も含めいじめていた子であったのだが、不思議なことに英良は悪意を持っていじめたことがなかった。そのせいなのかは定かではないが、このような年賀状をもらうとは怪訝だった。

高校一年の時友達の母親と再会した。彼女は英良の手を握り言った。

「昌代がね……英良っていい奴なんだよって。……ごめんね呼び捨てにして……」

そんなことを昌代の母は言っていた……。昌代は英良の一歳下の女子だったが、その子ははっきりものを言う性格のため、英良はあまり好きではなかった。

悪意はなかった。英良は全てにおいて……それは傍らで見ているとお人好しに見えるかもしれないが、英良にしてみれば至極当然のことだった。人を恨んだこともない。憎んだこともない。蔑んだこともなかった。そのようなことも脳裏をかすめていった。

身体中の涙を全て出し切ったような気分だった。病院から家までどのように帰ったのかも覚えていない。帰宅途中の記憶が全くなかった。その後、母は亡くなった。死因は肺がんで、近くのセレモニーホールで密葬を執り行った。