【前回記事を読む】普段では拾えない遠くの音が感覚の中へ入ってきた。五感は既に精錬された鉄のようになっていた。もう痺れは何処にも感じない。
第一部 生命の旅
第一章 生命の火が消えるまであと百八日
美咲の章(一) 宿命の邂逅
時計の針は午前四時を指していた。英良は布団をかぶり寝返りをうつとすぐに意識は暗闇の中へ吸い込まれ深い眠りに就いた。何もない荒涼とした暗闇の中に一人の老人が佇んでいる。
頭髪が無く白い顎ひげを二十センチくらいのばし白いローブを身にまとい杖をついたまるで仙人のような小柄な老人と遭遇した。
「主(あるじ)よ、私は先言(せんごん)という。間もなく美咲に大きな力が覆いかぶさる。それは大きな闇。これまでその力は美咲を監視し拒み続けてきた。
この後は力による対峙となりその後には新たに対話による力が必要となる。その時は主の言葉の力が必要となる。良いか主よ、できるだけ多くの力を美咲へ放て。良いな主よ。主の力が美咲を救うことを忘れるな」
先言と名乗る老人は唐突に英良へ告げた。
ニューヨーク・タイムズ・スクウェア。大通りは、大勢の人で混雑している。街中はニューヨーク名物のイエローキャブが走り、見上げれば摩天楼の高層ビル群が雄々(おお)しく建ち並ぶ。
一台のキャデラックが排気ガスを巻き上げながら走っていく。車のエンジン音やタイヤが路面を掴み疾駆していく独特な音、クラクションも車種が違うとそれぞれの音がする。ニューヨークの街は人間が作り出した機械音で溢れている。
その喧噪の真ん中を自転車に乗りヘルメットをかぶった青年が人の間隔を縫うように走って行く。七、八歳の女の子の手を引いた三十代の母親がショッピングモールから出てきてイエローキャブに乗り込んでいった。
建物が建ち並ぶその一角の雑居ビル内にバレエスタジオがある。スタジオ内は、メインストリートに面して窓があり、残りの三つの壁面には大鏡が貼り付けられている。広さは六十畳ほど。二十人ほどのプロダンサーが練習している。