このために、自分なりに学習したことは、慣れでケガに繋がることが、老体では非常に多くなってきているということである。車の運転にも同様なことを感じる時があるが、結論としては憶病になるということが必要かと思う。

憶病になることで、ある程度のケガや事故は防げると考えている。つまり、一つの自分への危険信号を鋭くするということに繋がるような気がしている。生きるための術ともいえる。生きる上ではあまりにも予想外の出来事という想定外が多すぎる。

そのために自分なりの触覚のようなものになる肌感覚を鍛えることを考えて行動すべきと思っている。

最後になるが、そもそも老に対峙することは、紛れもなく自分自身と真正面から対峙することである。そこでは逃げることは許されず、しっかりと自分の老を捉えなければならない。その後の人生を少しでも豊かに過ごすためには、絶えず脳をフル稼働すること。

冒頭でパスカルの名言を引用させてもらったが、この人は哲学者でもあり、数学者でもあったようである。推測の域であるが、分からないことはとことん問い詰め追究する人ではなかったかと。哲学という学問は、人間が人間たる最も真に迫る学問かと思っている。

私には、「そもそも何?」ということを自問する時がある。問い出すとそのことを考え続け、まさに蟻地獄にはまることになる。これも個人的な所見であるが、このことを癖にしていると、少しでもボケ防止になるのではないかと、勝手に思い込んでいる。

老けることが悪のような書き方になったところがあるかもしれないが、若者のパワーには負けても、いろいろと多様な経験を積んできたフケメンたちは、知力では負けないと力説したい。これからも自分で探し出すフケメンなりの老人道を究める努力を続けていきたい。

妻への一言

これまで独断専行型の亭主によくぞ付いてきてくれたと思う。振り返ると毎日の食事や洗濯の家事から子供の育児、就学、進路、就職、さらに同居した実母の世話から介護まで家庭内の殆ど全てのことを一人でやってもらった。

その点、自分勝手な我儘な亭主は、何事にも「何とかならないか!」の連発であった。食事の量と味に「何とか……」もっと子供の躾を「何とか……」とにかく言いたい放題の亭主であった。

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