じいじになった私
フケメンの戯言
このボランティア活動は、自分の老後の生き方として生き甲斐となり、体が健康で続く限りは、挑戦し続けたいと考えるようになった。全国各地でささやかながらも経験させてもらったことが、生き甲斐に繋がってきたことは、非常に良かったと満足している。
このことから、本来ならば昨年の台風被害で多くの家屋の屋根瓦が壊れたり吹き飛んだりしている所の補修が未だに終わっていないため、居住県でもあり昨年同様に出かけていきたいが、現在はコロナ禍で動くに動けない状態になり、気持ちに焦りが募っている。
このような中で活動は、中止状態となり、専ら畑仕事で休日は体力維持に努めている。ただ、いつも脳裏に張り付いている肝心要なことに、体の萎えがある。
つまり、健全な肉体がなければ先々への一歩は踏み出せないということになる。このことは、生きる上で気をつけなければならない最も重要なことで、健康に勝る生き方はない。
これからしばらくは健康に関することを綴りたいが、私は、若い時分に生活スタイルが極端に悪かったために、胃袋を相当酷く痛めてしまっている。そのことで年に一、二回は胃袋が機能不全になり、食事もとれなくなる状態に陥る時がある。
今年もその機能不全に陥り、病院で毎日点滴を受けていた。その間の食事は野菜スープと栄養剤入りのパウチやリンゴジュースなどの液状ものをとり、胃袋に負担のかからない状態にして、機能不全からの回復を待つ日々を十日間続けた。
若い頃は一日三回の食事であったが、度重なる不健全な食事スタイルのため胃袋を悪くしてからは、三回から二回になり、今では一日一回の夕食のみの食事となっている。実に情けないことになり、このスタイルになって二十年ぐらいになる。
自分でも生きていることが奇跡のように思え、殆ど基礎代謝ギリギリで生きているという、とても不思議な感覚がある。
こんな状態でも胃袋を手術したわけではない。ただもたれ感が強いために、食べたくても食べられない。本当は若い時みたいに丼飯をタラフク食べたいが、希望とは裏腹に貧弱この上ない病人食の毎日となっている。いや病人でもこのスタイルはないかもしれない。
そして、この間の体重は3キロぐらい落ちるが、その段階で不思議と止まる。一日のエネルギー源となる食事をとることが一時的でも遮断されることは、非常に困ることであり、点滴を打っている時に、このまま逝ってしまうのかなあと、ボンヤリ考えてしまう。